社会問題について「日本特有」を強調することはその問題の解決を妨げる

社会問題について、それは日本特有の問題であることをアピールすることで、その問題の重大性を思い知らせ、解決を促すことがよくあるようである*1。確かに、他の国にはないのに、日本にはあると言われると、他国に合わせなければならないからそれはなくすべきだという意識が生じ、その問題の解決に資することもあるだろう。しかし、逆にその問題の解決を妨げることもありうる。

功利主義の観点

日本特有の問題と、世界共通の(あるいは日本よりも人口が多い領域にある)問題を比べると、後者の方が当然その問題によって不利益を被る人の数が多い。そのため、日本特有の問題を解決するよりも、世界共通の問題を解決する方が、より多くの人の効用が高まることになる。だから、功利主義に基づけば、日本特有の問題は世界共通の問題より解決の優先順位が低い。なので、功利主義者にとっては、問題が日本特有であることは、その問題を解決すべきという思いを弱めるものである。もちろん、日本人(ないしは日本在住者)の効用をとりわけ高く評価する愛国者にとってはこの限りではないかもしれないが。

解決策の発見の観点

世界共通の問題であれば、その問題の解決策が別の国において考えられていて、それがうまくいっていることもありうるし、そうでなくても、様々な国の人が解決策を考えているため、出てくるアイデアは多くなる。しかし日本特有の問題となると、一から解決策を考えないといけなくなるし、出てくるアイデアも比較的少なくなるだろう。このため、世界共通の問題は、日本特有の問題よりも解決策の探索が容易である*2。したがって、費用対効果の観点や、「まずはできることから」という考えからすると、世界共通の問題の解決を見つけることを優先すべきということになる。また、「本当は世界共通の問題なのに、日本特有の問題だと思っている」場合、車輪の最発明のようなことが起こりうる。

続く

他にもいろいろ書きたいことはあるが、続きはまたいつか。

*1:もちろん、解決を促すという目的ではなく、ただ扇動する目的の場合もある。

*2:ただし、解決策の探索が容易になるのであって、探索された解決策自体が容易であるとは限らない。世界共有の問題の方が問題の規模が大きい分、おそらく解決策はより困難なものになるだろう。