国土交通省, "自転車損害賠償責任保険等への加入促進について", PDL1.0
昨今、多くの都道府県で自転車損害賠償責任保険等の加入が義務化されており、その理由として挙げられているのは、自転車事故の加害者が高額な損害賠償を命じられる事例があることである。また、自転車保険の保険料は、おおむね年間数千円程度である。
ここで、自転車による交通事故で高額な損害賠償を命じられるという事例がどの程度あるのかという疑問が生じる。上でリンクした日本損害保険協会のページでも、挙げられている事例は平成25年、令和2年、平成20年、平成15年、平成19年と、かなり昔のものが多く、相当まれなことではないかという印象を受ける。そして、そのようなリスクへの備えとして、年間数千円程度の保険料は妥当なのだろうか*1。
残念ながら、民事裁判の判決はすべてがインターネット上に公開されているわけではなく、また、裁判によらず示談などにより賠償が行われることも多いと推測されるため、高額賠償の件数を調べるのは難しいと考えられる。
そこで、まず、警察庁の統計から、自転車と自転車または歩行者を当事者とする死亡事故*2*3の件数について調べると、次の表のようになり、おおよそ年間10件未満であることがわかる。参考に、令和7年の交通死亡事故件数は2,495件であり、そのうち自転車を当事者とする死亡事故件数は303件である。
| 年 | 歩行者 | 自転車相互 |
|---|---|---|
| 平成27 | 8 | 1 |
| 平成28 | 3 | 2 |
| 平成29 | 3 | 1 |
| 平成30 | 2 | 3 |
| 令和元 | 5 | 0 |
| 令和2 | 2 | 2 |
| 令和3 | 6 | 5 |
| 令和4 | 4 | 0 |
| 令和5 | 3 | 1 |
| 令和6 | 3 | 0 |
| 令和7 | 3 | 1 |
また、自転車と自転車または歩行者を当事者とする重傷*4事故*5の件数は、次の表のとおりで、おおむね年間1000件未満である。なお、令和7年の重傷事故件数は26,145件であり、そのうち自転車を当事者とする重傷事故件数は6,793件である。
| 年 | 歩行者 | 自転車相互 |
|---|---|---|
| 平成27 | 300 | 356 |
| 平成28 | 258 | 350 |
| 平成29 | 324 | 396 |
| 平成30 | 372 | 442 |
| 令和元 | 321 | 412 |
| 令和2 | 322 | 432 |
| 令和3 | 309 | 432 |
| 令和4 | 327 | 423 |
| 令和5 | 362 | 476 |
| 令和6 | 348 | 463 |
| 令和7 | 353 | 487 |
以上の統計から、自転車による死亡事故は年間10件未満程度、重傷事故は年間1000件未満程度という数字が得られる。死亡事故で平均1億円、重傷事故で平均100万円の賠償が行われたと仮定すると、年間の賠償額の合計は、1億×10+100万×1000=20億円未満と概算できる*6。国内の自転車保有台数は約6870万台であり、計算の簡便のためこれを5000万台とすると、賠償額を自転車保有者全員で分かち合った場合、20億÷5000万=40円未満となる。これは、自転車保険の保険料である数千円と明らかに乖離している*7。
もっとも、自転車保険は、賠償責任だけではなく、死亡・後遺障害や通入院なども補償していたり、示談交渉やロードサービスなどの付帯サービスがあったりすることが多く、また、保険料には各種経費や保険会社の利益なども含まれるため、その保険料と上記の概算額40円を単純に比較できない点には注意が必要である。上述の通り、自転車が加害者となる事故は少ないとしても、自転車が当事者となる事故は意外と多いため、その備えとしては自転車保険は妥当かもしれない*8。しかし、加入義務化が進められている損害賠償責任保険としては、保険料の適正さに疑問符が残るのも事実である*9。
自転車損害賠償責任保険の加入を徹底させ、被害者救済を図りたいのなら、年間の賠償額の期待値が40円程度で、自転車の耐用年数は数年程度*10であることを考えると、自転車販売時に防犯登録と同時に数年分の保険料数百円を一括して徴収し*11、その自転車について廃棄まで賠償責任を補償するという制度の方が、現行の方式よりもよいかもしれない。また、賠償責任保険と傷害保険や付帯サービスを抱き合わせて自転車保険として販売することをやめさせ、義務付けられている保険にだけ加入できるようにすることが望ましいだろう。
*1:ただし、自転車保険の多くは、賠償責任の他に、死亡・後遺障害や入院・通院なども補償しており、示談交渉やロードサービスなどの付帯サービスもある。
*2:自転車と自動車や二輪車の死亡事故は、自転車の側が死亡することがほとんどであると推測されるため、また、自転車単独の死亡事故は、賠償責任が発生しないと考えられるため、考慮しない。
*3:これらの死亡事故の全てで自転車の運転者に過失があり、損害賠償責任を負ったとは限らない。なお、自転車は自賠法が適用されないので、人身事故の場合でも無過失責任ではない。
*4:「交通事故によって負傷し、1箇月(30日)以上の治療を要する場合」
*5:死亡事故と同様、自動車や二輪車との事故や自転車単独の事故は考慮しない。
*6:ちなみに、2024年の自賠責保険の保険金支払額は5,782億円であり、任意保険の対人賠償責任保険の保険金支払額は3,050億円、対物賠償責任保険のそれは7,692億円で、それらを合計すると1兆6,524億円となる。
*7:なお、他の保険の場合は、2025年度における元受正味保険料に対する元受正味保険金の割合は、自動車保険で58.2%、傷害保険で40.6%、自賠責保険で79.8%である(日本損害保険協会の統計から計算)。
*8:しかし、これもかなり怪しい。1億円までの損害賠償責任補償に加え、100万円までの死亡・後遺障害補償がある自転車保険の保険料は月額140円すなわち年額1680円である。ところが、令和7年の自転車乗用中の交通事故死者数は306人であり、後遺障害が残った人が死者の10倍いると仮定すると、合わせて4000人を下回る。これらの人々の全員に100万円の保険金が満額支払われた場合、その合計は100万×4000=40億円となり、自転車1台当たり40億÷5000万=80円となる。これに40円を足して120円にしても、1680円には到底及ばない。なお、この保険は、自転車保険の中では保険料が最安のものの一つである。
*9:もっとも、多くの人は数億円数千万円という財産があるわけではないので、そのような額の賠償をする可能性が少しでもあるならば、保険料が賠償額の期待値とかけ離れていたとしても、保険に加入するのは合理的でありうる。それでも、保険会社間で競争が行われているならば、他の保険会社より少しでも保険料を安くすれば加入者を奪えるので、最終的には保険料は期待値に近づいていくはずである。
*11:あるいは、防犯登録料や自転車本体価格に含める。